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【人の部】 玄蕃蔵物語

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「田中 玄蕃」から始まった
ヒゲタしょうゆの醸造

ヒゲタしょうゆの醸造を、下総銚子の地で始めたのは田中玄蕃(げんば)という人である。
元和2年(1616年)、今から384年(2000年現在)も前のことである。元和2年といえば、大阪夏の陣の翌年、徳川家康が没し、江戸を中心に徳川三百年の時代がはじまろうという時代であった。
土地の有力者であった田中玄蕃は、西の宮の真宣九郎右衛門(さなぎくろうえもん)という人にすすめられて醤油を醸造するようになったと伝えられている。
はじめは、大豆を主原料とした、「大極上々溜醤油」と称していたが、元禄時代に、第五代田中玄蕃が江戸の食味に合うように醸造法を改良(小麦の活用、米麹の利用など)して、現在の関東濃口しょうゆの基礎が出来上り、江戸庶民の食生活にヒゲタしょうゆが愛用されるようになった。

ヒゲタの創始者に感謝し、
その名を後世に伝えてゆくために

銚子を母に江戸を父に育てられた関東最古の醤油蔵として、しょうゆ造りの原点にたち帰ると共に、ヒゲタの創始者に感謝し、その名を後世に伝えてゆくために、なにか田中玄蕃にちなんだ製品が造れないだろうか、という第十二代濱口吉右衞門社長の提案のもとに、関連部門の担当者が集まり検討を開始したのは、平成元年(1989年)の秋であった。

製品のコンセプトは、往時の「造り」を現代の技術と設備で再現してみるということにした。

  1. (1) 原料
    当時は、千葉、茨城産の大豆、小麦を使っていたと思われるが、今では入手しにくくなった国産品を購買担当者の努力で集めた。
  2. (2) 製麹
    大豆は丸のまま蒸し、炒って細かく割砕した小麦を合わせ、独得の麹菌を使って麹を育成させた。
  3. (3) 仕込
    昔の「寒仕込」にならって、寒冷期に仕込みを行い、春、夏で醗酵させ、秋に熟成、という年一回だけの仕込みをした。
    更に、田中玄蕃の蔵の記録にあった「秘伝」(諸味の醗酵後期に米麹(甘酒)を添加する)を試みた。
  4. (4) 圧搾
    昔ながらの箱槽を使い濾布、一枚、一枚に諸味を包み、ゆっくりじっくり搾った。
  5. (5) 火入
    通常のしょうゆよりソフトに加熱殺菌し、色と香りを整える。
  6. (6) 詰
    品質保持によいガラスびん(白い陶器をイメージした玉びん500ml入り)を選び、江戸時代にヨーロッパに輸出したというコンプラびんのデザインをとり入れ、レトロ調のラベルを貼り、封緘紙で封印する。

こうして完成した、「江戸造り醤油 玄蕃蔵」を田中玄蕃の墓前に報告、奉納した。

平成3年(1991年)9月、創業375周年の記念行事を行った際、お客様のおみやげに、この「玄蕃蔵」を1本づつ差上げたところ、
「ソフトでマイルドだ。」
「昔の醤油を思い出す。」
「「本膳」とは違った美味しさがある。」等、多くの好評をいただいた。
中でも、鎌倉在住の料理研究家、辰巳芳子先生の評価は高かった。
先生とは当時鎌倉に住んでいた先代社長十一代濱口吉右衞門夫人と、ご母堂である辰巳浜子先生とのおつきあい以来のご縁であり、社長自ら、この「玄蕃蔵」を先生のお宅に持参し、味を見ていただいたところ、「濱口さん、これは素晴らしい。」とほめて下さった。
あとになって、日本経済新聞夕刊の「味」という連載コラムに、先生は「玄蕃蔵」を次のように紹介して下さった。

『冷や奴の季節が近づくと、上質でおいしいしょうゆがほしくなる。一年中、豆腐は湯豆腐にかぎるという方もいるが、ぶっかき氷で冷やしたものを、適切な薬味で明快に食べるのは、やはり日本の夏の醍醐味だと思う。
豆腐のニガリッ気をつき出さず、豆の淡い旨みを引き立ててくれる生じょうゆ。 同じ豆腐でも、湯豆腐は土佐しょうゆ風のものが相性がよいかもしれない。しかし冷えた豆腐はなまぐさみを嫌う。それでどうしても納得のゆく生じょうゆが欲しかった。心当りやら頂戴品やらに立派なものはあったが、骨太だったりして、半ばあきらめていたところへ、数年前ヒゲタ醤油創業375年の記念品という「玄蕃蔵」と名付けた濃口を頂戴した。
口上に創業者、田中玄蕃に続く江戸の秘伝の手法とある。期待をかき立てられて封を切る。まず何はともあれ香り。わざとらしさのない上品さ、食欲をそそる熟成のかぐわしさ。色、のび、そして味はなつかしく小気味のよい江戸前の味、塩角のおさまりの良いことはこの上ない。世に同感の士はあるもので記念品にとどめず、売りものをとの声が出たそうだ。それで翌年から、限定注文販売になった。今年も3万本限定。1年に1度、9月9日重陽の節句に蔵出しする。
私は月2本と定め、冷暗所に置き、開封後は冷却する。江戸前の焼海苔につけたり、半熟卵に小さじ3分の1程を塩代わりにしたり。
炊きたて御飯と生卵。納豆。浸しもの。大根おろし。マグロ、カツオ、ブリの刺し身。ビフテキ、野鳥料理などでもよい。人様につけじょうゆと吹聴しつつ、ひそかに、ねぎま(鍋料理)にしたら冥利につきた。今年9月からの方は、もどりカツオでお試しを。』

(コラムを後に一冊にまとめた「辰巳芳子が薦めるぜひ取り寄せたい確かな味」(料理王国社)より)

そこで翌年から、毎年、年1回、限定3万本(後に3万5千本)を生産し、通信販売でのみ、販売することにした。

さらに、創始者、田中玄蕃に感謝し、その功績を忘れぬよう、年間の会社行事として、その「仕込式」から「蔵出し式」までを江戸の五節句に合わせてとり行うことを決めた。
特に「蔵出し式」の日は、五節句の中でもなじみのうすい「重陽の節句」(秋の収穫を祝い、長寿を祈る菊の節句)とし、江戸の五節句を今、再現させようという社長の願いをこめたものである。

  • 12月吉日 
    仕込式
  • 1月7日(人日の節句)
    初櫂入れ式
  • 3月3日(上巳の節句)
    諸味改め式
  • 5月5日(端午の節句)
    諸味奉納式
  • 7月7日(七夕の節句)
    秘伝極めの式
  • 9月9日(重陽の節句)
    蔵出し式

「江戸造り醤油玄蕃蔵」を通じて
広がる、人の輪、人の和

平成4年(1992年)の第1回蔵出し以来、毎年続けて今年で9回目となるが、全国の玄蕃蔵ファンとのネットワークは年々、広く深くなって来ており、5月初旬にダイレクトメールでご案内すると6月中旬には予定数量が完売という状態が続いている。

平成9年には、9月9日9時9分に蔵出し式を行い、「玄蕃蔵」を絶賛紹介して下さった「玄蕃蔵の母」とも言うべき辰巳芳子先生を特別ゲストにお招きした。
1999年(平成11年)には、つきぢ田村の田村暉昭社長夫妻、地元銚子の町内会の代表の方、関係グループ会社の代表をお招きし、イベントとして和太鼓の第一人者、林英哲氏にオリジナル「玄蕃蔵奉納太鼓」を演奏していただき、1999年9月9日9時9分、カウントダウンと共に、セールスカー、大型トラックで一斉に工場出荷を行った。
そして今年、平成12年は、西暦2000年記念のラベルを貼った、特大ボトルを作成し、ご来賓の江戸懐石近茶流宗家の柳原一成氏と濱口社長による除幕式を行った。

これからも毎年、創始者田中玄蕃を思い、感謝しながら、「江戸造り醤油玄蕃蔵」を通じて、人の輪、人の和が、ますます大きく広がってゆくことを願い、より良い製品造りに努力を続けてゆきたい。