経営理念

ヒゲタ醤油株式会社は「食と応用微生物」の分野で、新しい価値の創造を通じて、人々の健康で豊かな暮らしの実現に貢献する。

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ヒゲタ醤油株式会社 代表取締役社長 濱田 孝司ヒゲタ醤油株式会社 代表取締役社長 濱田 孝司

私たちは
未来に挑戦して
いきます。

ヒゲタ醤油株式会社
代表取締役社長
濱田 孝司

ヒゲタ醤油は、2016年に創業400年を、そして2018年には、会社設立100周年を迎えました。

1616年(元和2年)、下総の国銚子(現在の千葉県銚子市)で、田中玄蕃が西ノ宮 (現在の兵庫県西宮市) の真宜九郎右衛門(さなぎくろうえもん)のすすめで『たまりしょうゆ』を醸造し、売り出しました。これが、ヒゲタ醤油の始まりです。

銚子の温暖多湿な気候は、醤油諸味中の微生物の発育に適しており、更には江戸幕府が安定し、諸制度が整えられると共に全国から人と物が集積される中で食文化も大発展していくことになりました。この間、しばしば醸造法を改良し、1697年(元禄10年)には、初めて小麦を原料に用いた現在の『濃口しょうゆ』を開発しました。
ヒゲタ醤油は、銚子を母に江戸の発展する大市場と絢爛と咲いた食文化を父として育てられ、常に時代の流れをすばやく捉え、伝統技術を磨き、自己変革し、四世紀にわたり、日本の食文化の一端を担ってまいりました。

令和の時代を迎え、人々の生活様式は絶えず変化していますが、食は変わらず、人の体と心の健康に必要不可欠なものです。
ヒゲタ醤油は、変化の激しい現状に適切に対応し、それと同時に、常にその先の状況も想定しながら、お客様が「あって良かった」と喜んで頂ける商品の開発と、安全・安心の提供に挑戦を続けています。

  1. 令和の時代の二-ズを捉えた味づくりへの挑戦
  2. お客様へさらなる安全・安心をお届けする挑戦
  3. 企業永続のための「挑戦し続ける人材づくり」への挑戦
  4. 社会との共生(環境負荷低減)への挑戦

これらの挑戦を具現化し、さらにCSR(企業の社会的責任)を果たすことにより、先人から受けついだバトンを繋ぎつつ、未来に果敢に挑戦していきます。

ヒゲタ醤油株式会社 代表取締役社長
濱田 孝司

経営ビジョン

  1. 江戸時代創業の伝統を継承・発展させ、自然の恵みと日本の食文化を大切にする。
  2. 醤油及び加工調味料の専門メーカーとして、食品業界における競争力を一段と強化し、価値の高い商品とサービスを提供することによって、企業価値を高める。
  3. お客様、株主、従業員、取引先、地域社会等のステークホルダー(ヒゲタの利害関係者)の皆様に、経済的価値、人間的価値、社会的価値、文化的価値を提供し、社会的責任(CSR)経営を果たす。

行動規範

  • 私たちは、消費者の安全を第一に考えた行動と製品造りをします。
  • 私たちは、お客さまの満足と安心が得られるように最大限の努力をします。
  • 私たちは、法令を遵守し、社会的倫理に則った企業活動をします。
  • 私たちは、会社の理解と信頼を高めるため、誠意をもって企業情報をわかりやすく公開します。
  • 私たちは、環境問題に積極的、自主的に取り組みます。
  • 私たちは、人権の尊重と公平な処遇を行い、安全で働きやすい環境を作ります。
  • 私たちは、地域社会の良き「企業市民」として行動し、地域の発展に貢献します。

ヒゲタ印の由来

1616年(元和2年)、田中玄蕃が銚子の地にしょうゆ業を創業した当時のマークは、田中家の屋号「入山田」でした。
「田」の端に「ヒゲ」がついた理由としては2説あります。

  1. (1) 田中玄蕃の夢枕に「ヒゲ」の仙人が現れ、醤油づくりに適した水源を教えてくれたため、その仙人に感謝の意を込めてヒゲをつけたとする説
  2. (2) 元禄(1688~1704年)頃、「入山田」のマークを書いていた際、「田」の上端から墨汁が垂れてヒゲのようになり、他の端も同じようにしたらおもしろい図案になったので、以後もこれを用いるようになったとする説

いずれにしても、「田」にヒゲがついてから「ヒゲタ」と呼ばれるようになりました。
また、左上の「上」のマークは、江戸末期の1864年(元治元年)、物価高に悩んだ幕府が市場に値下げ命令を出した際、ヒゲタを含む銚子と野田の7銘柄に対して「最上醤油」という名称とともに従来の価格で販売することが許されたとされ、そのお墨付きとされています。
品質を約束する目印として、今も受け継がれています。

ヒゲタ印